気づいたことを書きなぐる。
「普通でいなきゃ」と思った理由は多分これ、というのを思い出した。
他のひとに願われたからだ。
始めは親に。そのうち当時友達と思っていた子にも「他のひとみたいに、普通になってよ」とか言われていた。あんまりその子の事好きじゃなくて、ただ境遇が似てるから同情してただけのような気がする。その証拠に、その子が変わろうとした時に止めたくなった。上に立っていたかったんだね。要するに嘘の優しさだった。
そのあと…皆普通が好きで、普通じゃない鵺の事は好きではない、と。思ってしまった。
まぁ今以上に鵺は発達してなかったし、無理もなかった。
いじめ。トラウマでがんじがらめになって。→がんがん自信をなくしていく。→自信回復に向けて凹んだり突っ張ったり許したかったりで奮闘中。(今ここ)
多分、もともと「人が喜んでくれると嬉しい」っていうのが根底にあって。それが悪い方に働いちゃったんだろうな。喜ばせられない自分は駄目だ‼みたいに。
必死で「女らしくしなきゃ、礼儀正しく‼」「アホなこと言わんように、周りからはみ出さないように」なんて考えてた、いや…考えてる。
どちらも鵺の個性だったのかもしれない。
どちらも、そこはどこかで自覚してたのかも、と他のひとのブログに書いてある思いを読んでて思った。
鵺を肯定的に受け止めたらどうなる?
性別という壁の内外という、既存の感覚に縛られず生きることが出来る。
鵺は特別で、創造力豊かで、隠しきれないほどに存在感がでかい。
お…おぉ…誰だ。会ったこともない人になりそうだ。
でもこの人に会えたら、楽しいことも沢山あるかな。今よりもっと、同じ境遇の人達を助けることだって出来るかな。