幻獣保護区。

七尾のカオスな日常。あと思うこと。

論理的思考と、自己肯定感のかかわりについて

タイトルがものすごく論文っぽい。

 

いや、【そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?】を読んだんだけど。

論理的思考が出来ずにへこんでいる主人公を見て考えた。

 

主人公は、周りが論理的思考を出来ているのに、「自分は論理的思考が出来ない」って、ダメだって落ち込んでいる。

自分もそうだ。論理的思考っていうものがどんなものかも知らなかった。

でも知って、使えるようになれば自己肯定感も上がるんじゃないかと思った。

 

これまでの自分は、超文系、フィーリングで決めることは得意、それ以外の順序だてて考える必要のあるものは不得意。

その理由として、虐待やいじめ経験なんかも実は関わっていると思う。

 

 

どう関わっているかと言えば。

虐待やいじめを受けた事で、自分は過剰に人の事を気にする傾向にある。

で、「自分の決定で相手がどう思うか優先」という思考になっている。そうしなければ何をされるか分からないから、という怯えやリスク回避が理由。

 

だがこの思考スタイル、相当なストレスが自分にかかる。

だから反動として「フィーリングで決める‼」となる。

 

フィーリングと、人の事を気にする。

この二つだけで今までやってきた、と言っても過言じゃないと思う。

今思えば歪んでいるが、それでもうまくやってこれた。周りも歪んでいたから。論理的思考よりも、私は従うことを求められていたから。人の気分を害す方が私にとっては脅威だった。

 

自分の、自己肯定感とひきかえに。自分の核を守ってきた。自分とひきかえに自分を守るなんて、矛盾してる表現だが実際そうなんだ。

 

だが今は安心を得た。もう、必要以上のご機嫌とりはいらないようだ。

自分の足で立ち、生きていくのに求められるのは論理的思考もだった。

その面においては自分は、周りよりも発達が遅れた子供同然だった(いや実際発達障害なのだが。例えとして使用した)。

 

要するに、周りは論理的思考が出来る、自分は出来ない。それを比較して、「何で自分は皆と同じように出来ないんだろう」と悩む。

 

自分は、論理的思考のやり方を知らない。知らないものは認識できない。

例えば、リンゴを知らない人にリンゴを説明した場合、リンゴを知らない人は自分が知っているもので補完して「多分こういうもの」と結論づける。

 

そのような感じで、論理的思考を知らない=認識できない自分も結論付けたんだ。

「同じように出来ないのは自分が『ダメ』だからだ」と。

 

自己肯定感はここでも下がる。

一時期など、自殺未遂をしたほどどん底であったのに。まだ下がりようがあったのか。

 

 

まぁ、こんな感じで。

論理的思考が出来ない人と自己肯定感の下降には関わりがあるんじゃないかと思い、説明してみた。

 

・虐待やいじめにあった経験がある

・フィーリングや人目を気にしてで決めがち。前は良かったが、今はそれで失敗する

・自己肯定感が低い(自分はダメだ、価値がない、と思い込んでいる)

 

自分もそうだ‼もしくは、こんな人が身近にいる場合。

一緒に論理的思考や自己肯定感について、自分の過去をひもといて考えてみるのもいいかもしれません。

もちろん、これはあくまで七尾の場合なのでご了承くださいね。