自己分析①後半ちょっとスピ寄りの話。
①とか書いたけど、続きがあるのかまだ謎。
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寂しいとか辛いのは、仲間が周りにいないからだ。
でもそれって、量子論の観測と同じだ。
見ていないから、いない。
いると思い観測すれば、いる。
しかも発達障害は、思い込んだもん勝ちなところがある。自分が幸せだと思えば、それは幸せ。ギフトだと思え、何もかも。
そして。
周りは敵ではない、と思った方が生きるのは楽。もうあの時の、ひとりぼっちな自分ではない。ないはず。そう思いたい。
とはいえ障害のせいで実感を持てない。だから実験して、調べて、仮説をたてる。検証。生まれながらの学者肌かもね。
楽しいことをやったっていい。
苦しいときや嬉しいときには泣いたっていい。これまで貯めてきた分を出せばいい。
必要なのは理解者でも癒し手でもなく、自分で許すことなのかもしれない。(勿論、必要だと感じたならそれらの手を借りてもいい)
自分を喜ばすことを沢山しなさい、と先生は言ってくれた。
自分を喜ばすことが何なのか今現在、見当もついてない。ということは、それだけ自分を大事にせずに生きてきた、ということ。
今、相手に何をしてあげればいい(=喜んでくれる、その人の為になる)か分からないのは、多分それだからだ。
自分の癒し方が分からないから。だからきっと、他人の癒し方が分からないんだ。
これまで冷たくしてきた分を甘やかして、たらしこんで(!?)。そうすれば何か分かるかな。
でもさぁ、それでも『私』に癒されてる人はいるんだよね。身近にさ。
癒し方、何も分かってないのに。
あちらが勝手に来て、話だけで何もしてないのに勝手に癒されて、お礼を云われるあれは何なんだろう。不思議だなぁ…?
もともと持ってるらしい、癒しのオーラってやつですか。
何気なく話しているときに、『透明』とか『純粋』『癒される』って。人はそんな言葉を付けてくれる。
他人には、どう見えてるんだろう。
いつもの、人目を気にする感じじゃなくて。どんないい面が人には見えているんだろう?
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なんてことを、掃除しててふと考えていた。
何かいい考えっぽいから一応書き残しておく。