幻獣保護区。

七尾のカオスな日常。あと思うこと。

自己分析①後半ちょっとスピ寄りの話。

①とか書いたけど、続きがあるのかまだ謎。

 *****************

 

 

 

寂しいとか辛いのは、仲間が周りにいないからだ。

 

でもそれって、量子論の観測と同じだ。

見ていないから、いない。

いると思い観測すれば、いる。 

 

しかも発達障害は、思い込んだもん勝ちなところがある。自分が幸せだと思えば、それは幸せ。ギフトだと思え、何もかも。

 

そして。

周りは敵ではない、と思った方が生きるのは楽。もうあの時の、ひとりぼっちな自分ではない。ないはず。そう思いたい。

とはいえ障害のせいで実感を持てない。だから実験して、調べて、仮説をたてる。検証。生まれながらの学者肌かもね。

 

 

楽しいことをやったっていい。

苦しいときや嬉しいときには泣いたっていい。これまで貯めてきた分を出せばいい。

 

必要なのは理解者でも癒し手でもなく、自分で許すことなのかもしれない。(勿論、必要だと感じたならそれらの手を借りてもいい)

 

自分を喜ばすことを沢山しなさい、と先生は言ってくれた。

自分を喜ばすことが何なのか今現在、見当もついてない。ということは、それだけ自分を大事にせずに生きてきた、ということ。

今、相手に何をしてあげればいい(=喜んでくれる、その人の為になる)か分からないのは、多分それだからだ。

 

自分の癒し方が分からないから。だからきっと、他人の癒し方が分からないんだ。

これまで冷たくしてきた分を甘やかして、たらしこんで(!?)。そうすれば何か分かるかな。

 

でもさぁ、それでも『私』に癒されてる人はいるんだよね。身近にさ。

癒し方、何も分かってないのに。

あちらが勝手に来て、話だけで何もしてないのに勝手に癒されて、お礼を云われるあれは何なんだろう。不思議だなぁ…?

もともと持ってるらしい、癒しのオーラってやつですか。

 

何気なく話しているときに、『透明』とか『純粋』『癒される』って。人はそんな言葉を付けてくれる。

他人には、どう見えてるんだろう。

いつもの、人目を気にする感じじゃなくて。どんないい面が人には見えているんだろう?

 

*********

なんてことを、掃除しててふと考えていた。

何かいい考えっぽいから一応書き残しておく。